19代目うたのおねえさんとして活躍され、卒業後も多方面で活動されている、はいだしょうこさん。
幼いころから歌を唄い、しょうこお姉さんに一番身近な人の影響と、あるトップスターへの憧れから宝塚音楽学校に入学・卒業し、タカラジェンヌとして活躍していました。
しょうこお姉さんに影響を与えた身近な人とは??
また、どんな学校生活を送ったのでしょうか??
はいだしょうこお姉さんが宝塚音楽学校に通っていたのはいつ?

つい最近では、松岡修造さんの娘さんがこの宝塚音楽学校に2度目の受験で合格し、入学したことが話題となりましたが、宝塚音楽学校に入学するには倍率40倍という超難関を突破しなければなりません><
しょうこお姉さんも1度目の入学試験では残念ながら難関を突破することができませんでしたが、高校2年生の時、2度目の受験で見事合格の切符を手にし、1996年に憧れていた宝塚音楽学校に入学し、1998年の卒業までの2年間を過ごしました^^
何故入学したの?
お父さんは元国立音楽大学准教授で、お母さんは声楽家という音楽一家で育ったしょうこお姉さん。
9歳の頃に、「めだかの学校」や「ちいさい秋みつけた」などで有名な作曲家、田中喜直さんに師事し、童謡やポップスの勉強をされたそうです。
この頃から、童謡コンサートに出演したりしていたとか。
また、しょうこお姉さんのご両親は出待ちをするほどの宝塚ファンだったそうです。
その影響を受けたしょうこお姉さんは、月組のトップスターだった大地真央さんに憧れ、「宝塚に入る」という夢が1つできます。
当時、他にも「幼稚園教諭」の夢と「うたのおねえさんになる」という夢があったそうです。
この時からもう、「うたおおねえさん」の夢があったのですね^^
そして、夢の1つを叶えるためにまず、宝塚音楽学校への入学を決意するのです。
どんな学生生活を送っていたの?

宝塚音楽学校での生活は、大変厳しいという事は有名ですよね。
ある元タカラジェンヌは「自衛隊より厳しい」と、テレビで言っていました^^;
入学して最初の1年は予科生、2年目は本科生として厳しい学校生活を送ります。
特に予科生の間は特に厳しいようです。
・本科生の言うことは絶対で、本科生に言われたことは絶対で、正しい・正しくないは関係なく、服従。
・本科生がドアを開ける前に先回りし、ドアを開けて待つ。
・掃除は予科生が行い、毎日1時間半かけて髪の毛1本、ほこり1つ残さない。
・廊下、階段を歩く際には壁面を1列になって歩く
などなど・・・
他にも、
・校内では笑わない・しゃべらない・走らない
・1人の失敗は同期全員の連帯責任
・廊下の角を曲がる際には、壁伝いに直角に曲がる
・校外では2列縦隊で移動
・私服は白・黒・グレーの色指定あり
これ以外にもたくさんありました^^;
こんな厳しい教えの中、しょうこお姉さんは毎日タカラジェンヌになるべく日々、努力し続けます。
そのかいもあり、卒業時には「オペラ部門 主席」、「ポピュラー部門 最優秀賞」という素晴らしい成績を残すことができたのです^^
しょうこお姉さんは宝塚音楽学校の84期生にあたるそうですが、この84期生は「歌唱力に秀でていた」と言われているそうなので、この成績はかなりのものだといえます!
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まとめ
しょうこお姉さんの宝塚音楽学校時代の様子はどうでしたか?
「宝塚に入る」という夢と、「うたのおねえさんになる」という大きい夢を2つも叶えているしょうこお姉さん。
音楽一家で、宝塚ファンの両親を持つというプレッシャーの中、想像を絶する、かなりの努力をされ続けたことでしょうね。
夢を叶える為には、「努力すること」、そして「夢は叶う」ということをしょうこお姉さんは示しています^^
今後のしょうこお姉さんの活躍を願います^^
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